走らずにはいられない
- 公開日
- 2020/05/01
- 更新日
- 2020/05/01
サッカー部
“サッカー人として”2015年12月04日(金)掲載
ふがいない結果にも、目をそらさなければ自分のためになることがたくさん埋もれている。何が足りないのかを勉強できる。
例えば足首を痛めたことで、思いのほか足の指の開きが悪くなり力が入りにくくなっていた現状に気づいた。そこで指周りを強化したら、可動域が広がり、ケガする前よりジャンプがスムーズにできるようになっちゃった。首をケガしたことでは体の左半分で筋力の下がっていた箇所が見つかり、そこを補強したら逆側の右半分も良く動くようになってバランスが改善する。こういうのは発見であり、喜びだよね。
伸びしろがまだまだ自分にはあるなと実感するし、手を付けていないものがたくさんあって、それを絶対にサッカーへつなげたい。
というわけでこの30日間ほど、毎朝6時から走っています。サッカー人生でこんなに走っているのは初めて。自分のなかではもう第1次キャンプに突入です。
立ち戻るべきは基礎だと思っている。大人になると知らず知らずに基礎がおろそかになりがちだ。ではスポーツの基礎は何か。走ること、土台となる有酸素運動だよね。だから立ち返り、それも「毎朝6時に走る」と決める。夕方走る、では同じ走るでもダメなんだ。
6時にすぐ駆け出すには5時45分には目を覚まし、着替えなども前夜のうちに自分で用意しておく。前日も早く寝て備えて、と決め事ができる。やるのは自分独り。やめても誰もとがめない。どんより暗く、雨も降っている朝には「今日はいいか」と悪魔がささやく。「休んでいいんじゃないの、雨だし」「いやいや、雨だってサッカーはするだろ」。それは自分との闘い。この闘いに勝って、雨だろうが嵐だろうが、よほどでない限り「やる」というメンタルを身につけたいんだ。
不運なケガ、悲運の敗北。勝負の世界は運が働く。でも僕は運に頼らない。何もせずに止まって待つところへそれは転がってこず、目標に向かっている人の足元へしか運というものは回ってこない。現状維持は停滞。自分を進めることだけを考えていたい。
日本経済新聞コラム“サッカー人として”(途中抜粋)
「やるのは自分独り」「やめても誰もとがめない」「自分との闘い」
このとき、KAZUは48歳。「48歳の自分との闘い」もあれば、「中学生の自分との闘い」もある。
休校中、GW中は闘いもお休み? 自分と向き合う時間がたくさんあるからこその「自分との闘い」があるはずだ。