日本人のメンタリティー
- 公開日
- 2020/04/16
- 更新日
- 2020/04/16
サッカー部
Football ZONE webより抜粋
Jリーグ創成期にジェフユナイテッド市原(現・千葉)で活躍したMFピエール・リトバルスキー氏
リトバルスキー氏が大物外国人選手の一人として来日したのは、1993年の夏だった。ケルンで同僚だった奥寺康彦氏から市原入りを説得され、最初は乗り気でなかったものの、「一度来たら、好きになるはずだから」との奥寺氏の言葉を信じて日本行きを決断したという。
日本での予想以上のフィーバーに戸惑ったリトバルスキー氏だったが、日本に対してはすぐに好印象を持ったという。「相手をリスペクトする日本人のスタイルが特に良いと思った。ドイツでは誰かと知り合ったらすぐに、もしくは知り合う前からその人がどういう人間か決めつけてしまうんだけど、日本人は冷静にしっかりと考えてから判断するんだ」として、相手を思いやる日本人のメンタリティーに感銘を受けたことを明かしている。
また同氏は、「日本に根付いている助け合いの精神を、私は自分の人生における哲学として吸収した。以前フェリペ・スコラーリ(元ブラジル代表監督)から『君はブラジル人みたいだ』と言われたことがあるけど、それは違う。私の心は明らかに日本人だ。私は日本で生まれ変わったんだ」とも語り、今でも日本に強い思い入れがあることをうかがわせている。
奥寺氏に誘われて最初は半信半疑で日本に来たリトバルスキー氏だったが、日本での日々は同氏の価値観や人生観を変えるほどの大きな転機となったようだ。
Football ZONE web編集部
昔々、大学を出たばかりの私は少しの間だけ、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のユースチームでアルバイトをしていた。ある日、グラウンドの準備を終えて戻ろうとすると、リティがクラブハウスから出てきた。思わず「こんにちは!!」と大きな声で挨拶をした。それに対して、にっこり笑顔で「こんにちは」と日本語で返してくれた。
身長は私と同じくらいで、細身だった。すごく、姿勢が良くて、格好いい。スーパースターって、振る舞い全てが、紳士なんだなと思った。
あまりにも突然でドイツ語で挨拶する心の余裕はなかったな(^_^;) サインももらえなかった(T-T)