青い目の人形とは・・・

青い目の人形

青い目の人形とは昭和2年「世界の平和は子供から」というスローガンのもと、アメリカの子供たちから日本に贈られた約13,000体(12,739体と公表されている)の人形である。元来、英語では「Friendship Doll」と呼ばれ、これを訳して日本では「友情人形」とも称される。この友情人形を指して、青い目の人形と置き換えられた呼称が現在では広く定着している

その歴史的背景は・・・

当時の日本は、第一次世界大戦後の反動恐慌や関東大震災などによる経済不況が深まり、混乱のさなかにあった。一方アメリカでも同じく、当時の経済不況の中で多くの失業者を抱えていた。このため、低賃金でもよく働く日本人移民労働者への反感、人種的蔑視、さらに文化的な偏見も加わって日本人移民への批判が強まっていた。  この危機を両国民相互の理解と親善によって好転させたいと考えたのが親日家の牧師、シドニー=ルイス=ギューリック博士(1860−1945)、その人である。彼はこのような状態を日米両国の人々のお互いの文化的理解が欠けているからだと考え、大正12年(1923)に「世界児童親善会」を設立した。平和と友情」の精神を次代に向けて育てていくためには、子供の世代からの国際交流が必要だという考えに基づき、ひな祭りという伝統行事を持つ日本の子供たちに人形を通じて友情交流を図る「人形計画」が展開された。多くのボランティアがこれに参加し、この計画の推進に協力した人数は、全米48州(当時)で260万人とも言われ、受け入れ側の日本では文部省(現在の文部科学省)が窓口となり、人形の配布を行うことになった。

日本の反応は・・・

アメリカの子供たちの友情と好意に応え、日本からも人形を贈ろうという運動が起こり、各都道府県から58体の人形が用意されることとなった。人形を贈って頂いた小学校や幼稚園の児童に呼びかけ寄付を募り、答礼人形はクリスマスに間に合うように1974年(昭和2年)11月に日本を出発した。  答礼人形は1974年(昭和2年)11月25日サンフランシスコに到着、12月25日にはシカゴにも到着した。12月27日には、ワシントンのナショナル シアターで公式の歓迎会が催され、大いに歓迎された。その後、この答礼人形をきっかけに、全米各地でひな祭りにちなんだ「人形祭り」が開催されている。

そして戦争へ・・・

日本とアメリカはこうした人形を通しての交流があったにもかかわらず、次第に険悪な関係となっていき、昭和16年、太平洋戦争へと突入する。人間同士の憎しみ合いは人形へもその牙をむき、青い目の人形は敵国人形として竹ヤリでつつかれたり、殴られたり、しまいには軍部から全国各学校へ焼却命令が伝達(昭和20年)され、そのほとんどが焼かれて灰塵(かいじん)となる憂き目にあった。

メアリー

本校に保存されている青い目の人形は、髪はブロンド、身長45センチ、名前をメアリーと言う。この名前は昭和55年に全児童から募集、アメリカの女の子らしい”メアリー”と名づけた。彼女が発見されたのは昭和53年のこと。場所は校舎わきのプレハブ倉庫(今は存在しない)の片隅で、ほこりをかぶった木の箱の中に眠っていた。発見の動機は、古い本校の卒業生の「私たちが在学していたころには、アメリカからきた女の子の人形があったはずだが・・・」との記憶によるもの。その木箱の中には「世界児童親善会事務所」からの英文メッセージやアメリカの小学校の子供の手紙数通も入っていた。

FRIEND'S SCHOOLPACIFIC AND SOUTH CAROLINA AVENUES ATLANTIC CITY, N.J

Dear Friends

December 2, 1926

It was interesting to hear of your Doll Festival and we are sending three dolls to it. Two representAmerican girls and the other an American baby.

Our happiest holiday is Christmas, which comes on the twenty-fifth of December. It is celebrated as the birth of Jesus Christ. We give to the poor so that they may have a happy Christmas. We also give presents to each other. Most of us have Christmas trees decorated with balls of many sizes, shapes and colors and with tinsel and other ornament. The presents are generally in the same room as the tree.

Beside presents we have candy. The younger children (and sometimes the older ones) hang up their stockings to be filled with candy and small presents.

I wish you a very happy time at the Doll Festival.

Your American friend

(Grade 8)

ニュージャージー州アトランティックパシフィック アンド 南カロライナ通り フレンズ小学校

みなさん

1926年 12月2日

あなたの国の人形祭を聞いて興味を覚えたので、3つの人形をお送りいたします。 2つはアメリカの少女であり、他の1つはアメリカの赤ん坊です。

私たちのもっとも幸せな休暇は、12月25日にやってくるクリスマスです。それは、イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。私たちは貧しい人々も幸せなクリスマスをおくることができるように、彼等に贈りものをします。私たちもまた、お互いにプレゼントの交換をします。私たちのほとんどは、クリスマスツリーをいろいろな大きさや形や色のついた玉、きらきら光る紙やその他の飾りもので飾ります。クリスマスプレゼントは、クリスマスツリーのある同じ部屋に置いてあります。

プレゼントのほかに、キャンディーもあります。小さな子供たち(時々、年上の子供たちも)はキャンディーや小さなプレゼントをたくさん入れてもらうために自分たちのくつ下を木にかけます。

人形祭を本当に楽しくすごせますように

あなたのアメリカの友達

(8学年)

メアリー(新しい衣装).jpg メアリー(古い衣装).jpg

ベッキー

新たな交流へ・・・

1987年(昭和62年)〜1988年(昭和63年)にギューリック3世(ギューリック博士の孫)により、「新青い目の人形」が青い目の人形の保存校などに贈られた。 これは、ギューリック3世が当時、青い目の人形が各地に大切に保存されていることに感動し、新たに亡きギューリック博士の平和への願いを継ぐ形で贈られたものである。

ベッキー.jpg

未来に向けて・・・

昭和の初めに、親善と平和を使命として来日した青い目の人形は、当時の日本においては充分な根をおろすことなく戦時中の悲しい処遇を受けることとなった。しかし現在、本校にある2体の青い目の人形は「友情と親善の象徴」として、また「歴史の証言者」として変わることなく本校の児童を見守っている。

**参考文献**
「社団法人 横浜国際観光協会 横浜人形の家」 『青い目の人形にはじまる人形交流』 トポス 1991年
毎日新聞 1981年(昭和56年)
読売新聞 1995年(平成7年3月4日)
読売新聞 2002年(平成14年8月19日)
荘内日報 1995年(平成7年2月26日)
『青い目の人形のお話』 山形県羽黒町立第一小学校
随想録 『社会教育始め』 関屋 龍吉氏 著

メアリーとベッキー.jpg