校内整備作業
8月18日(金)
校舎内の廊下の洗浄・ワックス掛け作業のほかに、給食室内の水道の修繕も行います。調理備品の修繕などの大きな修繕は、専門の業者の方に、夏休みの時期に適宜してもらっていますが、ちょっとした修繕は、校内の用務主事さんが行い、二学期の給食調理が円滑にできるようにしています。 地域の調べ学習、がんばりましょう7
50年前、毎日通った小学校の校門の石柱は、今も同じように立っていました。いろいろな物が変わってしまう中、少しほっとした気持ちになりました。また、八王子の自然の豊かさを改めて感じ取ることができ、嬉しい気持ちになりました。
夏休みもあと少しになりました。横一の子どもたちは、いろいろに調べ学習を頑張ってくれていることでしょう。二学期には、調べ学習の成果を発表し合って、学習を深め合いましょう。 地域の調べ学習、がんばりましょう6
友だちと“秘密基地”を作って遊んだ、雑木林は、今も緑が茂っていす。そして、地域の人たちが憩いの場となっている公園に整備されていました。
地域の調べ学習、がんばりましょう5
テレビの渋滞情報でよく紹介される『元八バス停付近』もあります
地域の調べ学習、がんばりましょう4
校長先生が、半世紀前に、自転車で遊び回った場所には、湧き水の出る池もあります。
八王子の自然が、半世紀経っても、大切に守られていました。 地域の調べ学習、がんばりましょう3
相即寺の近くに、西連寺があります。このお寺も、戦時中、品川区の小学生が学童疎開してきていました。そして、神尾君と同じように品川区から学童疎開をしてきた子どもたちは、神尾明治君の三年生の作文に登場してきます。
地域の調べ学習、がんばりましょう2
相即寺には、延命地蔵尊があります。この地蔵尊は、
「天正18年6月23日、八王子城落城の時、283名の相即寺に縁のあった戦死者のために造立されたものです。」 そして、『ランドセル地蔵』としても、有名なお地蔵さまです。 「昭和20年7月8日、東京品川の原国民学校の四年生神尾明治君が、疎開先の隣保館保育園で、米軍飛行機P51の銃弾を受けて死亡し、明治君のお母様が、明治君の使用していたランドセルを、明治君一番似ている堂内一地蔵にかけて東京に帰り、お母様も昭和21年2月28日に死亡した。 児童文学作家古世古先生が『家出ねこのナゾ』を書かれ後、初めて真相が判明した。」 と書かれています。 本校の110周年の際に、『歴史教材集 館町とその周辺(旧 上館小学校 作)』などの資料をもとに、当時の先生方が作られた『3学年副教材 学校のうつりかわり 横一小今と昔』には、神尾明治君が、三年生の時に書いた作文が載せられています。 二学期になったら、子どもたちと一緒に読み進めてみたいと考えています。そして、作文の内容を通して、その頃の子どもたちの気持ちや置かれた状況について、思いを巡らせてみたいと考えています。 地域の調べ学習、がんばりましょう1
今年の夏休みは、八王子市が市制となって100年の記念すべき年の夏休みです。また、本校が横山尋常高等小学校としてスタートしてから、今年度で、ちょうど120年目を迎えました。
そこで、今年の夏休みに、横一小の子どもたちに、地域のことを中心に調べ学習をしてもらうとしました。 子どもたちだけでなく、校長先生も、八王子の調べ学習として、実際の物を見るために、自宅の近くを散策してみました。 小学生の頃からよく見かけている『相即寺』があります。 “今につながる、横一のむかし”『校舎』5
5、昭和50年当時の校舎配置には、南校舎のさらに西側に校舎が伸ばされました。今の1年1組や1年2組あたりです。そして、まわり廊下ができ、今のすみれ学級や家庭科室(2階)、図書室(3階)の校舎が増築されました。
そして、校庭の西側に横山第一学童保育所の建物が建ち、現在の校舎配置になっています。 周年活動の別の取り組みとして行った『30年後に残す横一のよさ』に対して、“校舎”を取り上げた子どもたちがいました。 ◎30年後に残す横一のよさ『校舎』 今使っている校舎は、長く使っている感じもあって、とても落ち着くので、今も校舎が30年後も残っていたら、とても落ち着きます。 ペンネーム〔ガリガリ君〕:6年 これからも残ってほしいし、大人になって、また見にきたい。一番思い出が多い所です。 ペンネーム〔紅のトマト〕:6年 この古い校舎を選んだ理由は、この古い校舎には、120年分の思い出があるから。もし、新しくすると、思い出が全部消えてしまうから、残してほしいです。 ペンネーム〔こてっちゃん〕:6年 ※児童の個人情報の確保の観点からペンネームとしています。 また、卒業した中学生や高校生が横一小に遊びにきたときに、校舎の内外を見て、 「懐かしい!!!」 とよく口にするのを耳にします。 そして、地域の方がご来校されたときにも、 「私が通っていたときと、ちっとも変っていませんね。」 と、校舎のたたずまいを、懐かし気にご覧になられている姿を目にします。 母校と懐かしがられる手がかりの一つがこの昔ながらの校舎だと考えられます。 “今につながる、横一のむかし”『校舎』4
4、昭和48年当時の校舎配置には、それまでの南校舎の西側に新しい校舎が増設されました。現在の1年3組や低学年昇降口あたりにあたります。
写真は、校庭から眺めてもので、大きく育った木の影になっていますが、中庭からは、教室の空調設備越しに見ることができます。 “今につながる、横一のむかし”『校舎』3
3、昭和47年当時の校舎配置には、新たに体育館が作られました。現在も子どもたちが元気に体育などを行っています。
“今につながる、横一のむかし”『校舎』2
2、昭和46年当時の校舎配置は、北校舎に加え、南校舎の一部が作られました。そして、渡り廊下で結ばれました。
写真は、現在の中庭から見られる南校舎です。また、プールも平成26・27年度に全面改修して新しく作られた現在のプールです。 創立120周年記念 “今につながる、横一のむかし”『校舎』1
北野街道から眺められる本校の校舎は、昭和45年3月31日に現在の場所に新たに建てられました。その時に作られた校舎が、現在の北校舎です。
それ以降、何度か増築されて、今の校舎配置となっています。 1、昭和45年当時の校舎配置は、北校舎だけでした。 “今につながる、横一のむかし”『校歌』5
『校歌』を創られたお二人の先生の直筆の原稿や楽譜のコピーやソノシートなどは、北校舎の事務室の受付のところに掲示してあります。
“大好き!八王子 横一小再発見” 市制100周年、創立120周年の節目をよい機会に、横一のこと、そして、地域のこと、さらに、八王子市のことを深く学んでいきたいと思っています。 ご来校の節にでも、掲示物をご覧いただければと思っています。 また、『校歌』についての耳寄りなお話がお伺いできればと考えております。 “今につながる、横一のむかし”『校歌』4
勝 承夫先生や平井康三郎先生の直筆の原稿や楽譜以外にも、本校には、『校歌』に関するレガシーが残されています。70周年記念に際に作成された『校歌と沿革』の吹き込まれた“ソノシート”が残されています。
120周年の節目の年にあたる今年、この“ソノシート”に吹き込まれた校長先生の横一小の歴史(沿革)についての講話やその当時の6年生(今は、62歳ごろの年齢でしょうか)の校歌の歌声を、一学期の児童朝会で、みんなで聴きました。 その頃の校長先生の大房和子先生の凛としたお話、澄み切った当時の6年生の子どもたちのきれいな歌声に、聞き惚れてしまいました。 そんな“ソノシート”が、昭和46年 開校記念日の記念品として配られたとのことです。 そして、“ソノシート”とともに、校長先生と当時のPTA会長さんのお手紙も配布されていました。ご紹介します。 なお、当時のPTA会長さんは、現在の、たてまち幼稚園の園長先生でいらっしゃる橋沢泰治郎先生です。 <お手紙> あわだだしい年末を迎える頃となりました。皆様方には、益々お元気でおすごしのことと存じ上げます。 学校のことにつきましては、皆様方のご理解あるご協力や深いご支援をいただき、まことに有難う存じます。昨年度新校舎に移転した後、本年度は大プールが完成し、現在体育館の工事が始まっております。次々に整備される施設、環境のもとに480名の児童が、元気に学習をしております。特に、本年度に入り61名の転入児があり、一段と活気づいて参りました。 去る11月15日には、創立70周年の開校記念日をむかえました。例年、開校記念日には、PTAから祝品を贈ることになっていますが、本年は、いろいろな事情を考えて、子供の心に残る物を与えたいと考えました。そこで、校歌を吹きこんだ『ソノシート』を贈ることといたしました。子どもたちの心に愛好の気持や横一小児童としての一層の自覚を持たせたいと祈念しています。 12月10日 八王子市立横山第一小学校長 大房 和子 仝 PTA会長 橋沢泰治郎 各 位 “今につながる、横一のむかし”『校歌』3
作詞の原稿とともに、作曲をしていただいた際の、平井康三郎先生の自筆の楽譜も、本校には残されたいます。
また、作曲にあたっての言葉も残されています。 『作曲のことば』 平井 康三郎 先生 校歌は学校の理想を詩と音楽によって芸術的に表現したものであります。詩の中に盛られた教訓は、学校をとりまく美しい環境を描写した詩句の中にやわらかく取り入れられて居ります。曲は明るく楽しく大らかな気持ちで作られ、冒頭からいきいきとしたリズムで始まり、だんだん力づよく盛り上げてゆきます。そして、最後に二部合唱となって美しいハーモニーをひびかせてます。 この歌を十分練習して、正しく歌うことにより、この歌のもつ楽しい雰囲気から友情が生まれ、よく勉強して、どんな困難なことでもやり抜こうという勇気が生まれて来ることを信じます。そして、これからこの歌があらゆる機会に愛唱され、学校の発展に役立つであろうことを希って止みません。 “今につながる、横一のむかし”『校歌』2
本校には、『校歌』を創られたときに、勝 承夫先生が実際に書かれた、直筆の作詞の原稿が残されています。
一度創られたあとに、推敲されたり、相談されたりされて書き換えられたところが数カ所見ることができます。 さらに、作詞をされるにあたっての想いを綴られた文章も残されたいます。 『作詞のことば』 勝 承夫 先生 横山第一小は、日当たりのいい丘の上にあって、ほんとうに明るい印象でした。東京から近いところに、どうしてこんな静かな山村があるのかと思うほど、平和の光に満ちていました。湯殿川は草にかくれた小さい川でしたが、水がきれいで、何か楽しい夢を歌っているようでした。こんななごやかな里を故郷に持つ子供たちの幸福を思い、このような環境に育って心暖かく世の中に尽くす人物の現れることを待望しつつ、この歌をかきました。 創立120周年記念 “今につながる、横一のむかし”『校歌』1
本校の『校歌』は、昭和39年2月に制定されました。『校歌』が作られた頃は、横一小の校舎は、現在の館事務所がある場所に校舎がありました。
昭和30年4月1日より、横山村が八王子市にほかの5つの村と一緒に町村合併をして、八王子市立横山第一小学校になってから9年間の間に作られました。 作詞は、勝 承夫先生、作曲は、平井康三郎先生にしていただきました。 校内整備作業
8月15日(火)
子どもたちが登校しない夏休みだからこそできる作業があります。 本校の校舎の構造上、6年生の子どもたちは、中庭を通って渡り廊下のくつ箱を使って登下校などをしています。子どもたちや用務主事さんが、日頃掃除をしてくれていますが、どうしても、汚れがこびり付いてしまいます。 そこで、子どもたちが登校しない夏休みに、ポリッシャーを使い水洗いをしたり、乾いたあとにワックス掛けをしたりしています。 二学期になって、子どもたちが登校するときに、きれいな環境で気持ちよく登下校できるように、夏休みの間に作業を行ってくれています。 思い出の日光移動教室 総集編98
<その19>『日光移動教室は、あるべき行動、集団行動の集大成の場』
子どもたちは、学校に戻って、実行委員の子どもたちを中心に、解散式を行いました。3日間の日光移動教室での、“取り組みの目標”、実行委員の子どもたちが考えた“めあて”、行動班や生活班ごとの“めあて”、そして、“自分のめあて”に対して、確かな振り返りをする大切な学習の場面でした。 1,常に目的意識をもって行動する。 2,一人ひとりが、相手意識を持って過ごす。 3,周りの人にも気品を感じさせる行動をする。 この“取り組みの目標”は、日光移動教室のために作られた目標ではなく、子どもたちが、常日頃、掲げられている目標です。その目標に即した行動が行えるように頑張った、いわば集大成の場としての日光移動教室でした。 子どもたちは、日光移動教室が終えたあとも、これらの目標やめあてを意識して、学校生活を送ろうとしていました。 ※『思い出の日光移動教室 総集編』にお付き合いいただきましてありがとうございました。ご親戚などへの、子どもたちのお土産話に役立てば幸いです。 |