平和の日事前学習
2月23日(火) 5時間目に平和の日の事前学習として、東京大空襲で被害を受けた二瓶さんのお話を聞きました。二瓶さんは東京大空襲の時に江東区に5人家族で住んでいて、その時は小学校2年生だったそうです。以下二瓶さんのお話の抜粋です。
3月9日の夜10時頃の警戒警報のサイレンがなりました。最初お父さんは「大丈夫そうだ。寝ていていい。」と言っていましたが、しばらくして「今日はいつもと違う。起きろ!」と言われ、防空頭巾をかぶり、リュックを背負って外に出ました。後ろを見ると、砂町や深川の空が火の空のようでした。そして火の筒のようなものが雨のように降り注いでいました。 最初、防空壕に入りましたが、お父さんの「みんな出ろ、蒸し焼きになるぞ!」の声に外に出て、火の風が暴風となってふき、火の粉がぼんぼん飛んでくる中を逃げました。走っている人は火の粉を浴び、燃えながら走っているのです。背中の赤ちゃんが燃えていて、狂ったように走っていくお母さんもいました。持ち場は決して離れてはいけないと言われていた消防夫さんは、わずかな水しかでないホースを持ったまま燃えて倒れていきました。荷物を背負った馬は、荷物に火が燃え移り、馬にも燃え移り、生きたまま燃えていきました。 お母さんは「もうだめだから、この火の中でみんな死んじゃおう」と言いましたが、お父さんは「みんなどこまでも生きるんだ」と言います。その時、二瓶さんの防空頭巾に火がつきます。 生々しい体験談を、子供たちは真剣に聞いていました。お話の後、「おりづる」の歌を歌いました。 伊藤多喜雄氏コンサート(その4)一緒に給食
コンサートも終わり、給食の時間になりました。給食は、来てくださった方々と子供たちが、一緒に食べることになっていました。子供たちは、給食の準備ができると、体育館に呼びに行きました。そして、一緒に給食を食べながら話をしたりしながら、楽しい時をすごしました。
伊藤多喜雄氏コンサート(その3)名残を惜しむ
多喜雄さんのコンサートが終わると、代表の人がお礼の言葉を言い、花束を渡しました。その後、みんなで一緒に写真を撮らせてもらいました。一通り終わっても、子供たちは名残惜しかったのか、メンバーの人たちに群がり、話をしたり、楽器を見せてもらったりしていました。
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