学校生活の基本的な方針・考え方 2009.11.30
<朝礼講話> 平成21年11月30日
○ 本日の朝礼の趣旨 学校生活についての基本的な方針(考え方)を説明します。 ○ 学校生活の基本 1 学校は学ぶところ。 教科の勉強だけでなく、生徒会や委員会活動、部活動なども含め、全ての教育活動が「学ぶ」ためのものである。 2 学校の役割は育てること。 一人一人が個性や良いところをもち、それをお互いに伸ばしていくのが学校の役割である。 3 学校は安全・安心・人権(人としての権利)が保障される場。 傷つけられたり、いじめられたり、人として大切にされなかったりするところではない。 ○ 現実に起こっていることについての対応の姿勢 1 学校も社会の一部であり、実社会への準備の場、それを学ぶ場である。 社会のルールやマナー、モラルは学校でも同じ。人を傷つけたり、物を壊したり、法律に違反することは、学校でも当然許されないこと。 2 人を傷つける行為(傷害・暴力・暴言)、わざと物を破損する行為(人の物や公共のもの)、喫煙や薬物乱用、暴行などの法律違反は指導される。 それなりの責任をとってもらう。(生徒本人と保護者の責任) 3 だめなことはだめ、嫌なことは嫌と、お互いに言うことが大切。 見て見ぬふりや知って知らんぷりでは、絶対に良い学校にはならない。 ★ 一人一人にとって、楽しいことやうれしいこと、いいなと思うことが、多い学校にしたい。でも、自分だけが楽しければ人のことはかまわない、人を傷つけたりいじめたり、人の物をとったり、学校のものを壊したりしてもよい。何か気にいらないことがあるからといって、それらのことを行うことは、けっして許されない。これは、生徒一人一人と保護者の方々へのお願いであり、強いメッセージです。 ★ 人を傷つけた場合には、治療費用や慰謝料、故意に物を壊した場合は弁償、法律を犯す行為(喫煙や万引き、放火、暴行、破損など)については、警察と連携して対応していきます。保護者に学校に来て戴き、一緒に考えて戴きます。それができなければ、学校で一緒に生活することはできません。 今日はみんなにそのことを是非伝えたいと思い、集まってもらいました。 一人一人が、自分たちを、お互いに高めあえるような学校にしたい。そのために、先生たちはがんばるつもりです。困ったことは相談に来てください。また、悪いことは見逃さず、その人のためにも情報の提供をお願いします。 学びの場であるということ 2010.2.1
良い学校を創るために(2) 2月1日(月) 全校朝礼より
前回には、良い学校を創るために、最初の取り組みは「よき人間関係を作ること」であるという話をしました。 今回は、同じく「よい学校を創るために」ということで、今度は、学校について考えたいと思います。つまり、学校とは何なのかという話です。皆さんが毎日来ている学校は、いったい何のためにあるのでしょう。当然、勉強するためとか、友達と仲良くするため、とか部活動をするため、遊ぶため、その他いろいろ考えられると思います。でも、本当の目的は何なのか、そこを考えてみましょう。 昔は学校などなく、一部の特権をもつ人だけが学校に行くことができました。特権というのは一般の人とは異なる「特別な権利」ということです。例えば、父母が高い地位にあるとか、家系がいいとか、お金がすごくあるとかということです。では、学校に行かない人は何をしていたかと言えば、みんな遊んでいた、ということではなく、家の仕事やお金を稼ぐための仕事に携わっていたのです。働かなくては生きていけないから、学校に行かず、学習もできないままだったのです。すると、貧しい人は貧しいままの暮らしであり、より文化的で人間らしい暮らしができないということになるのです。貧しい人は貧しいまま、これでは階級社会と同じことになります。 今でこそ、法律で義務教育とされる小学校、中学校における日本の就学率は、はほぼ100%ですが、多くの開発途上国では、平均して小学校で85%、中学校で49.5%と低い状態のままです。 教育が受けられないとどうなるのでしょう。教育によって字が読めるようになるのですから、字が読めないために人にだまされたり、より安定した収入のある職業に付くことが難しくなったりします。3年生はよく分かるでしょうが、学校できちんと力をつけなければ、なりたい職業に就ける確立は低くなり、より自分らしい仕事で生きることができにくくなります。学力が上がれば、より進路選択の幅が広がりますが、それと同じことが、社会でもおきてしまうのです。 それから、学習することにより人は人らしくなるのであって、他から学ぶことがなければ、いつまでも動物と同じように、感覚や本能で生きるだけの人間になってしまいます。もし学校がないなら、教育を受けることができず、文化的な暮らしから遠くなることでしょう。 さて、このように考えると、学校とはやはり「学習する場」であるということです。より良い学校とは、つまり、よりよい「学習の場」が実現しているということです。一人では勉強できないけれど、友達や仲間と一緒ならやれる。それが学校の本質です。ですから、良い学校を創るためには、学校が友達や仲間とよりよく「学習できる場」となることが必要です。先生によって態度を変えたり、好きじゃないからといってやらなかったり、部活や遊びだけが好き、というわがままな態度では、良い学校を創ることにはつながりません。 部活動も含め、全ての教育活動が「学習すること」につながるような学校にしようではありませんか。 人の立場にたつ 夢をもつ プライドをもつ 終業式講話2009.12.25
2学期 終業式講話 平成21年12月25日
校長 吉田 和夫 1 忘れられないこと・人の立場に立つということ 2学期が無事に終わったことを感謝したいと思います。インフルエンザで学校や学年、学級の閉鎖があったり、修学旅行や合唱祭が延期になったり、けっこう大変でしたが、学校としては、大きな事件や怪我などがなく、概ね良かった2学期でした。 ただ、個人的には様々なことがあった人もいるでしょう。つらいことや嫌なことは、年末に忘れるというのが日本人の性質なのでしょうか。忘年会などが大人の世界にはありますが、嫌なことや辛いことは忘れ、新しい年を迎えるということで、それは一つの生きるための方策かもしれません。 でも、そうはいかないこともあります。なぜなら、あまりに辛く苦しいことで忘れられないようなことが世の中にはたくさんあるからです。死や病気に関することがそうです。また、体の傷や心の傷も、なかなか直るものではありません。そして、そう簡単に忘れてはいけないこともあります。やった人に対する思いややられた人の痛みは、けっこう長く心に残るもので、あまり甘く考えないほうが良いです。教育目標にありますが、思いやること、人の身になって考えることを忘れないでほしいです。 2 夢をもつということ さて、3年生の皆さん、全員と面談をしています。単に推薦試験の面接ということではなく、自分を見つめ、自らのことをアピールできること、進路に対する思いや意識を高めることは、かけがえのないすばらしい人生を送る上で、大変に大切なことです。1分間で自分を語るという形式をとっていますが、なかなか良いですね。1・2年の皆さんもやってみてはどうでしょうか。 その中で、「夢をもっていること・夢を大事にすること・夢に向かっていくこと」を語ってくれた人が多く、大変すばらしいなと思いました。ある人は、「夢を捨てなければそれに一歩ずつ近づいていくことができます」と言っていました。すばらしい言葉です。本当に、夢は捨てなければ、それに向かって歩むことで、少しずつ近づきます。決して遠ざかることがないのです。でも、あきらめて夢を捨ててしまったら、永遠に到達することはありません。新年に見た夢をいつまでももち続けてほしいと思います。 3 プライドをもつということ 次に、これも面接の中mおつで、分かったことですが、自分の長所や短所をきちんと言える人は、優れた人ですね。なぜなら、自分を他の人からの視点で見て、どうなっているか分かることになるからです。また、1年や2年の時と比べて、何がどう変わったかを言える人もすばらしいです。できれば、長所や短所、自分が変ったことを、3つ言えると良いのではないかと思います。 それで、このような面接を通して、自分にプライドや誇りをもつ人になってほしいと思うのです。人が見ていないからとか、分からないだろうからとか、そんな気持ちで、犯罪に走ったり、法律に背いたり、悪い行いをしたりする人が、芸能人なども含め、今年はけっこういました。自分だけがよければとか、誰も見てないからいいやとか言う人は、本当に情けない人です。なぜなら、誰も見ていなくても、自分だけはそのことを知っているからです。自分自身に誇りやプライドがあれば、悪いことはできないものです。そんなことをする自分が許せないというプライド、誇り、矜持、これこそが、自分を悪の道から守ることなのだと思います。 それから、自分のプライドを汚すような人は友人ではありません。自分を高めてくれる人だけが、真の友人です。自分自身にプライドをもち、悪の道、悪い行為に誘う人に負けないでほしいと思います。どうぞ、有意義な冬休みを過ごし、すばらしい新年や3学期を迎えてください。 |