2019年11月29日 金曜日※大日本帝国憲法・・・「帝国憲法」、「明治憲法」とも言われ、ドイツ・プロシアの立憲君主制を範としました。天皇主権、統帥大権、外交大権、非常大権など広範な天皇が規定されました。臣民の権利、君主に対する対人助言制、司法権の独立など一応近代的立憲制の体裁をとりながらも、貴族院を衆議院に対立させて、実質的には立法権や予算審議権が大幅に制限されていました。特に軍部は、天皇の軍隊として政府や議会が関与できない独立した地位を与えられ、大きな影響力を及ぼすことになりました。 パレスチナ人民連帯国際デー。1947年のこの日、国連総会でパレスチナ分割に関する決議が採択されました。72年前のこと。 ※パレスチナ分割決議・・・当時パレスチナを委任統治するイギリスと国連加盟国に対し、パレスチナの独立と分割、経済同盟の提案を採用・実施するよう勧告する決議でした。これにより、イギリスの委任統治を終わらせ、アラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とすることになっていました。 2019年11月28日 木曜日1872年には、岩倉使節団の各国訪問、東京城を皇居と治定、学制発布、日本初の鉄道営業開始(新橋−横浜)、富岡製紙場 操業開始などがありました。147年前のこと。 ※運上所・・・江戸末期から明治にかけて、各地の開港場で、輸出入品の監督、関税の徴収などを取り扱った役所。 ※学制・・・日本最初の近代的な学校制度を定めた教育法令で、明治政府が進めた三大改革(学制、兵制;徴兵令、税制;地租改正)の一つ。全国を学区に分けて、それぞれに大学校・中学校・小学校を設置し、身分や性別に区別なく国民皆学を目指しました。 太平洋記念日。1520年のこの日、ポルトガルの航海者マゼランが、南アメリカ南端の海峡(後に「マゼラン海峡」と命名)を通過して太平洋に出ました。天候に恵まれ穏やかな日が続いたこの海を「Pacific(平和な/穏やかな) Ocean」と名付けました。マゼランはフィリピンで原住民に殺されてしまいましたが、残された船員たちによって初めて世界を一周して帰国し、地球が丸いことを証明しました。 1520年には、メキシコ侵略に対するアステカ人による最大の反撃戦「ノチェ・トリステ(悲しき夜)」、マルチン・ルターが「ドイツのキリスト者貴族に与える書」で教会批判、神聖ローマ帝国 カール5世戴冠式などがありました。499年前のこと。 2019年11月27日 水曜日1895年には、日清講和条約(下関条約)の調印、樋口一葉が小説「たけくらべ」を雑誌「文学界」に連載開始、オペレッタ等で有名なオーストリアの作曲家スッペ死去などがありました。 ※ダイナマイト・・・ニトログリセリンを主剤とする爆薬の総称で、ノーベルは発明したのは、ニトログリセリンを珪藻土に染み込ませた物だそうです。 ※168万ポンド・・・現在の日本円で約2億3500万円位です。 2019年11月26日 火曜日2019年11月25日 月曜日OLの日。1963年のこの日、初めて「OL(Office Lady)」という言葉が女性週刊誌に掲載されました。 2019年11月22日 金曜日ボタンの日。1870年のこの日、金地に桜と錨の模様の国産ボタンが、海軍の制服に採用されました。この年の出来事には、兵制統一布告、普仏戦争、イギリスで義務教育導入、などがありました。 2019年11月21日 木曜日※第四次中東戦争・・・1973年10月、イスラエルとアラブ諸国(エジプト・シリア等)との間で行われた戦争。これに先立つ6年前の第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土の奪回のため、エジプトとシリアの両軍が、イスラエル軍に攻撃を開始しました。当初苦戦を強いられたイスラエルは、アメリカの支援等もあって戦局が次第に優勢になりつつあるなか、国際連合による停戦決議が成立しました。この戦争中、アラブ諸国で構成するアラブ石油輸出国機構が親イスラエル国に対して石油禁輸措置を、また石油輸出国機構が石油価格の引き上げをしたため、第1次オイルショックが起こり、日本をはじめとする石油輸入諸国に大きな経済混乱をもたらしました。 2019年11月20日 水曜日※ウンベルト1世・・・イタリア王国の第2代国王(1844-1900)。その王妃がマルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ。 世界こどもの日。1959年のこの日、「児童権利宣言」が国連総会で採択されました。国連は、各国政府が適宜日を定めて、子供の世界的な相互理解、子供の福祉を増進させるための活動に充てるよう勧告しました。それで日本では「こどもの日」として5月5日に充てています。 2019年11月19日 火曜日ペレの日。1969年のこの日、ブラジルのサントスFCで活躍したサッカー選手 ペレが、1000号ゴールの偉業を達成しました。15歳でデビュー、1977年に引退するまでの実働22年間で通算1363試合に出場、1281得点を記録し、その実績から「サッカーの王様」「20世紀最高のサッカー選手」と評されました。 2019年11月18日 月曜日ミッキーマウスの日。1928年のこの日、ニューヨークのコロニーシアターで、ミッキーマウスが登場する短編アニメーション『蒸気船ウィリー』が初めて公開されました。この年の2月、普通選挙法成立後最初の第16回総選挙があり、立憲政友会と立憲民正党の2大政党が多くの議席を占めました。また、11月には昭和天皇(2代前)の即位の礼・大嘗祭が執り行われました。 2019年11月15日 金曜日旧暦の15日は「鬼が出歩かない日」に当たり、何事をするにも吉であるとされ、また旧暦の11月は、収穫を終えた実りの感謝を兼ねて、神様に子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったそうです。 私たちの近くには、子安神社(明神町:八王子最古 安産育児の神様)、八幡八雲神社(元横山町:開運招福・厄除の神様)、市守大鳥神社(横山町:市の守護・授福開運)、日枝神社(大和田:山の神・万物の成長発展・産業万般の守護)などがあります。 2019年11月14日 木曜日※インスリン・・・食事をとることで血糖(ブドウ糖)値が上がる(=血糖の量が増える)と、すい臓から分泌されたインスリンが血糖を処理することで、血液中のブドウ糖の量を一定量に保つ働きをしています。ブドウ糖はご飯やパン等の炭水化物や糖分に含まれていて、食事をすると血液中に溶け込んで全身に運ばれ、エネルギーとして機能し、脳・内臓・筋肉が働いて、生命が維持されています。 2019年11月13日 水曜日※虚空蔵菩薩・・・智恵の菩薩とも言われ、人々に智恵を授けてくれる菩薩です。法輪寺では、13歳になった少年少女が、虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く「十三詣り」という行事が行われいているそうです。 ※参篭・・・神社や仏堂などへ詣り、一定期間、昼も夜もそこに引き籠って神仏に祈願すること。 2019年11月12日 火曜日洋服記念日。1872年のこの日、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出されて、それまでの公家や武家風の和装の礼装が廃止されました。因みに、同じ年(明治維新期)には、岩倉具視をリーダーとした岩倉使節団が、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国に派遣されました。日本と条約を結んでいる元首に国書を提出したり、不平等条約を改正するため予備交渉を行いました。また、西洋文化を調査しました。メンバーは政府首脳陣や留学生を含む総勢107人だったそうです。 2019年11月11日 月曜日2019年11月8日 金曜日レントゲンの日。1895年のこの日、ドイツの物理学者 レントゲンが、X線を発見しました。レントゲンは、真空管に高電圧をかけて実験をしているときに、真空管の外に置かれた蛍光紙が明るく光っていることに気がつきました。真空管と蛍光紙との間に1000ページの厚さの本を置いても、この光は通過しました。そこでレントゲンは、この光に”正体不明”という意味で「X線」と名付けたのです。後の研究で、X線は波長がとても短い電磁波であることが判明しました。波長が短いために身体を通り抜けることができ、身体の部位や状態によって通り抜け方が違うことから、身体の内部の様子を撮影することができるのだそうです。1895年頃の出来事には、日清講和条約の調印、樋口一葉の小説「たけくらべ」連載開始など。 2019年11月7日 木曜日(旧)ロシア革命記念日。1917年のこの日、ロシア10月革命でソビエト連邦が樹立しました。これに先立つ2月革命でロマノフ王朝が倒され、ケレンスキーらの臨時政府が支配していましたが、レーニン、トロツキーらのロシア共和党「ボルシェビキ」が勢力を拡大し、11月7日に首都ペトログラード(現サンクトペテルブルク)で発起し、労働者らで結成された赤衛軍が政府のあった冬宮(ロシア帝国の宮殿)に突撃しました。同日に開催された全ロシア・ソビエト大会で人民委員会が設立され、レーニンが議長に就任しました。ロシアの歴史や文化も調べてみよう。 ズドラーストヴィチェ!(こんにちは!) 2019年11月6日 水曜日アパート記念日。1910年のこの日、東京・上野に日本初の木造アパート(5階建 70室)ができました。[アパート]Apartment block、Condominium 2019年11月5日 火曜日2019年11月1日 金曜日これに先立つ11年前、伊勢(現三重県)の白子港を17人の船員とともに出港した光太夫は遠州灘で遭難し、ロシア領の小島に漂着、その後ロシア本土に渡り、日本への帰国を嘆願しましたが断られてしまいました。諦めなかった光太夫は、直接女帝エカテリーナ2世に日本への帰国をお願いしようと、遥か西方の首都サンクトペテルブルクを目指しました。日本を出港してから約1万キロの総移動距離と、漂着から8年も経っていました。ついに女帝に会うことができた光太夫たちは、境遇に同情してくれた女帝から手厚いもてなしを受け、直ぐに帰国を許可してくれました。出発するまでの間、光太夫はロシア皇太子や貴族、政府の高官からも大変優遇され、様々な招待も受けました。また光太夫は女帝の文化的事業にも協力してあげました。これらの光太夫の貢献から、サンクトペテルブルクを離れる直前の11月1日に、女帝から茶会に招かれることになったのだそうです。 |