2020年5月27日 水曜日 今日は何の日?

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NEW LIFESTYLE〜「新しい生活様式」の具体例
NEW NORMAL(新常態)
●一人ひとりの基本
症状がなくても外出の時はいつもマスクで
人との間隔はできるだけ2メートル空ける
手洗いは水とせっけんで30秒程度(念入りに)
●日常生活の基本
こまめに手洗い、手指の消毒
せきエチケットの徹底
室内はこまめに換気
人との距離を確保
「3密」を避ける
毎朝の体温測定と健康チェック
●日常活動では
発症時に備えて、誰とどこで会ったかをメモ
食事のときは横並びに座り、おしゃべりは控えめに
料理は大皿で取り分けず1人ずつに
トイレはふたを閉めて流す
買い物は通販や電子決済を利用
公園へは空いた時間と場所に
公共の乗り物では会話を控えめに
帰省や旅行は控えめに
冠婚葬祭などでは大人数で会食しない
など
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<R02.05.27>
【百人一首の日】1235年のこの日、藤原 定家(ふじわらの さだいえ/ていか )によって、小倉百人一首が完成されました。今から785年前のこと。定家の『明月記』に、親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)に頼まれて書写した和歌百首が、嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとあり、小倉百人一首の初出ではないかと言われています。

〈百人一首〉100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰(作品集)です。中でも、藤原 定家が、京都の小倉山の山荘で選んだとされる『小倉百人一首』は歌がるた(読み札に短歌・取り札に下の句が書かれいる。)として広く用いられていて、百人一首といえば『小倉百人一首』のことを指すようになりました。
藤原 定家は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家の歌人です。『小倉百人一首』の撰者で、権中納言定家と名乗っています。鎌倉幕府の御家人(武家の家人)で歌人でもある宇都宮 蓮生に頼まれて、京都の嵯峨野にある蓮生の別荘 小倉山荘の襖(ふすま)の装飾のため、飛鳥時代からの歌人100人の優れた和歌を年代順に色紙にしたためました。当時この百人一首に呼び名はありませんでしたが、後に定家が小倉山で作成した由来から『小倉百人一首』の通称が定着しました。室町時代の後期には、歌道の入門編としても知られるようになり、江戸時代では木版画の技術の普及で、絵入りの歌がるたが広く庶民に広まり、人々が楽しめる遊びにもなりました。


〈百人一首の代表作〉
「秋の田の かりほの庵(いお)の 苫(とま)をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」天智天皇・・・秋の田んぼのかたわらにある仮小屋の屋根をふいた苫の目が粗いので、私の衣の袖は露に濡れてゆくばかりです。※天智天皇の有名な短歌です。

「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」藤原 定家・・・夕方に松帆の海岸で焼かれる塩みたいに、来ない相手を待つ私の心も、恋い焦がれているのです。
※「松」は「待つ」と同じ音で両方の意味を持ち、短歌の技法の一つで「掛詞(かけことば)」といいます。

「春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」持統天皇・・・春が過ぎて夏になったようです。香具山に白い衣が干してあるのが見えます。※女性の天皇らしい着眼点があります。

「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」柿本 人麻呂・・・山鳥のしっぽが垂れ下がって長々と伸びているように、長々しい秋の夜を一人で寝ることになるのだろうか。※「〜しだり尾の」までは長いことを導くための短歌の技法「序詞(じょことば)」になっています。山鳥というのは、長い尾を持つ「雉」と思われます。

「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」安倍 仲麻呂・・・空のはるか遠くを眺めれば、奈良の春日にある三笠山で見た月と同じ月が昇っているのだなぁ。

「花の色 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」小野 小町・・・桜の花はむなしく色あせてしまった。虚しく過ごす私の容色が衰えてしまったように。※小野 小町が、成就しない恋を詠ったもの。

「君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ」光孝天皇・・・あなたのために春の野原に出て若菜を摘んでいると、春だというのに私の着物の袖に雪が降りかかっています。※ここでの「つつ」は「〜しながら」ではなく、反復の「し続ける」です。

「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆえに 乱れそめにし 我ならなくに」河原 左大臣・・・陸奥のしのもぢずり(信夫地域で作られる乱れ模様の染布)の模様のように、心が乱れはじめるような私ではないはずなのに。

「ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがわ) からくれないに 水くくるとは」在原 業平・・・不思議なことが多かった神様の時代にも聞いたことがない、竜田川の水を紅葉が紅色にくくり染めにするとは。※「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。「からくれない(唐紅)」は韓から伝わった紅で鮮やかな紅色。下の句で「から」「くれ」「くくる」が連続した小気味よい調子をだしています。

「大江山 いく野の道のとほければ まだふみもみず 天の橋立」和泉 式部・・・大江山を越えて生野へとたどっていく道が遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともなければ、母からの手紙も見ておりません。※生野(地名)に「行く」、「ふみ」に「踏む」「文(手紙)」の掛詞の技法が使われています。和泉 式部が優れた歌人であることがわかる代表作です。


百人一首って、なかなか味わい深くていいものですね。
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