2020年5月1日 金曜日

画像1 画像1
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
STAY HOME ウチで過ごそう!
SOCIAL DISTANCE〈2m〉人との距離を保とう!
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
コロナウイルスに感染しない/させないための行動
一 3密(密閉・密集・密接)を避けよう
一 手洗いを徹底しよう
一 咳エチケットを守ろう
一 不要不急・夜間の外出を控えよう
〜八王子市ホームページから
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
人との接触を8割減らす10のポイント
ビデオ通話でオンライン帰省/スーパーへは1人か
少人数で空いている時に/ジョギングは小人数で
公園は空いた時間と場所を選ぶ/待てる買い物は
通販で/飲み会はオンラインで/診療は遠隔診療
/筋トレやヨガは自宅で動画活用/飲食は持ち帰り
か宅配/仕事は在宅勤務/会話はマスクを着けて
〜政府の公表資料から
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

<R02.05.01>
【日本赤十字社創立記念日】1877年のこの日、佐賀藩士 佐野 常民(さの つねたみ)と、大給 恒(おおきゅう ゆずる)が博愛社を設立して、西南戦争の負傷者を明治政府軍と薩摩(西郷)軍との敵味方の区別なく救護しました。今から143年前のこと。彼らは、多数の死傷者を出したこの戦争の悲惨な状況に、紛争時の傷病兵の救護の必要性を痛感し、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体を作ろうと思い立ちました。政府に対して救護団体「博愛社」の設立を願い出ましたが、認められませんでした。戦場ではたくさんの負傷兵が放置されており、博愛社の設立を急いだ佐野 常民は、征討総督の有栖川宮熾仁(ありすがわのみや たるひと)親王に趣意書を持って願い出たところ、親王は英断をもって博愛社の活動を許可されたのだそうです。

〈西南戦争〉現在の熊本県、宮城県、大分県、鹿児島県で、薩摩藩士の西郷 隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱です。明治の初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本の国内では最後の内戦となりました。
当時近代化を進めていた中央政府は、廃刀令と金録公債証書発行条例の2つを発布することで、旧武士の最後の特権を奪い、士族に精神的かつ経済的なダメージを負わせました。これが契機となっていくつかの内乱が起こり、政府軍と西郷軍との間の戦争にまで発展しました。この戦争での政府軍の死者は6403人、西郷軍の死者は6765人に及びました。戦費は当時の金額で4100万円、税収4800万円のほとんどを使い果たすほどでした。また、士族としては、特権確保という目的を達成できず、農民が没落するとともに、賃金労働者(プロレタリアート)を増やすことになりました。一方で、一部の大地主や財閥による資本家が現れ、民間の大規模投資で日本の近代化が進みましたが、貧富の格差は大きくなりました。

〈日本赤十字社〉前身だった博愛社が、ジュネーブ条約(戦時国際法で傷病者と捕虜の待遇改善についての国際条約)に調印した日本政府の方針で、1887年に「日本赤十字社」と改称しました。「社員」と呼ばれる個人と、法人での参加者が統合した、社団法人に似た組織です。「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」を社の基本精神としています。全国に92の赤十字病院と79の血液センターを運営しています。また、常備救護班が複数あり、地震や台風、旅客機墜落、公共交通機関の大事故など、消防で対応しきれない大人数の負傷者が発生した際には、救援活動を行っています。戦後は、伝統的に皇室の厚い援助があり、歴代の皇后が名誉総裁を、皇太子妃や他の皇族が名誉副総裁になっています。
有名なマークは、赤十字の創設者 アンリー・デュナンの祖国であるスイスに敬意を表し、スイス国旗の赤と白の配色を逆にしたものが基になっています。戦争や紛争などで傷ついた人々を救護する軍の衛生部隊や赤十字の救護員と施設などを保護するためのもので、このマークを掲げている病院や救護員に対し、絶対に攻撃してはならないと、国際法や国内法で厳格に定められています。概して、病院や医療を象徴するマークと誤認することがありますが、日本赤十字社とその許可を受けた者以外は、法律でその使用が禁止されています。一般の病院や医薬品などにもこのマークは使えません。いざという時に、私たち国民一人ひとりを守る、とても大切な意味をもつマークなのです。
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

学校便り

学校生活・学校公開のお知らせ

教育課程

学校経営

教育委員会より

オンライン学習関連