2020年4月16日 木曜日

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◆◆◆コロナウイルスに感染しない/させないための行動◆◆◆
一 3密(密閉・密集・密接)を避けよう
一 手洗いを徹底しよう
一 咳エチケットを守ろう
一 不要不急・夜間の外出を控えよう
                〜八王子市ホームページから

<R02.04.16>
【ボーイズ・ビー・アンビシャス・デイ】1877年のこの日、札幌農学校(現 北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭 クラーク博士が、「Boys be ambitious.(少年よ 大志を抱け)」との有名な贈り言葉を残して、北海道を去りました。今から143年前のこと。

1877年の出来事には、西南戦争(九州で西郷 隆盛を盟主にして起こった最大規模の士族反乱)、チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』初演、東京大学(旧制)の設立、テニスで第1回ウィンブルドン選手権の開催、日本各地でコレラ(病原体コレラ菌の感染症 1879年まで続く)が流行、エジソンが蓄音機(人の声を録音)を完成、ブルックナーの交響曲第3番の初演、ブラームスの交響曲第2番の初演、などがありました。

〈クラーク博士〉ウィリアム・スミス・クラーク(1826〜1886年)は、アメリカの教育者です。化学・植物学・動物学を教え、農業教育のリーダーでした。マサチューセッツ農科大学の学長をしているとき、1年間の休暇を利用して日本に来ました。1876年に札幌農学校を開校、初代の教頭に就任しました。教頭の職でありながらも、President(校長)の表記が許可されていたことから、実質的には校内の全てを取り仕切っていました。この学校では、専門の植物学だけでなく、自然科学一般を英語で教え、学生たちに聖書を配り、キリスト教についても講義していました。クラーク自ら模範となり、学生を鼓舞・激励するだけでなく、学長をしているマサチューセッツ農科大学から生え抜きの教え子を呼び、規律や諸活動に厳しく高いルールを設定し、学生の自律的学習を促しました。アメリカに帰国後は大学の学長を辞め、いくつかの事業に関わりましたが、いずれも順調ではなかったようです。晩年は心臓病にかかり寝たきりの生活となり、1886年3月に59歳で亡くなりました。死の間際には「札幌で過ごした9か月間こそ、私の人生で最も輝かしい時だった。」と言い残したそうです。

〜少年よ、大志を抱け! 金・利己心・浮ついた名声を求める大志であってはならない。人間としてあるべき全てのものを求める大志を抱きたまえ!〜
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