2020年4月13日 月曜日

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<R02.04.13>
【決闘の日】諸国修行中の武芸者 宮本 武蔵 と 細川家に仕えて小倉城下に道場を開いていた 佐々木 小次郎 に試合を申し込み、1612年のこの日、巌流島(山口県下関市の沖にある無人島で正式な名称は島)で決闘しました。約束の時間に遅れてこの島に着いた武蔵は、船の魯を削って作った長い木剣で小次郎を倒したと語られています。武蔵はこの後、細川家の客分として晩年を過ごしたとのことです。
1612年の出来事には、江戸幕府が禁教令(教会の破壊と布教禁止)を布告、などがありました。

〈宮本 武蔵〉江戸時代の剣術家で、二本の刀を用いる二天一流兵法の開祖です。自書の『五輪書』には、13歳から29歳までの60余度の勝負に、無敗と書かれてあります。また、水墨画や鞍、木刀などの工芸品が各地に美術館に収蔵され、芸術家としても知られています。身長は「身の丈6尺」(大柄な男性を表現する決まり文句)で、今風に言えば2メートルくらいあるのでは、と想像されます。

〈佐々木 小次郎〉安土桃山時代から江戸時代にかけての剣客(剣術が強い人)です。名前は「岩流(巌流)」で、後の書物『二天記』には「岩流(巌流) 小次郎」と書かれています。巌流島の名称もここから付けられているようです。武蔵の身長が「身の丈6尺」ですが、小次郎も長大な太刀を使っていたことから、それに見合った大柄な体格だったと思われます。

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