2020年3月10日 火曜日【東京都平和の日】1945年のこの日、深夜0時08分、第二次世界大戦最中の東京に、アメリカ軍の爆撃機B29爆撃機344機が飛来し、焼夷弾を投下する爆撃「東京大空襲」がありました。死者 約10万人、焼失家屋 約27万戸で、大戦中で最大級の被害がありました。 〈東京大空襲〉第二次世界大戦中に東京が攻撃された空襲は100回以上あり、1945年3月以降の5回の空襲は大規模なものでした。その中でも死者数が10万人以上だった3月10日の夜間空襲(下町空襲)のことを「東京大空襲」と呼んでいます。罹災者は100万人以上でした。アメリカ軍ではこの大空襲のことを「ミーティングハウス2号作戦」と呼び、超低高度・夜間・焼夷弾攻撃の新戦術を取り入れた初めての空襲でした。木造家屋が密集する東京の下町を、散在する工場もろとも焼き払うことが目的で、3月10日を選んだ理由は、その日の夜が、延焼効果の高い風の強い日(冬型の気圧配置による強い季節風「空っ風」)と気象予報されていたためでした。 〈焼夷弾(しょういだん)〉普通の鉄砲や爆弾が物理的に物を破壊するのとは異なり、焼き払うために使われる爆弾です。焼夷弾の中には燃焼剤が入っていて、それが燃えることにより対象物を火災に追い込みます。大空襲のように、大量の焼夷弾が使われ、大火災が発生すると、酸欠や一酸化炭素中毒による窒息死も起こります。 |