2020年2月7日 金曜日

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<R02.02.07>
【北方領土の日】1855年のこの日に日魯通好条約が調印されたことにちなんで、北方領土返還要求運動の是の句的な盛り上がりを図るために設定されました。今から165年前のこと。伊豆の下田で調印されたこの条約により、日露両国の国境が択捉島とウルップ島の間に平和的に定められ、北方四島(北海道の北東洋上にある歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島の4島)が日本の領土として初めて国際的にも明確になりました。
〈北方領土問題〉北方領土は、日本人が開拓し、日本人が住み続けた島々です。外国人が定住したり、外国の支配下にあったことはありません。1635年、北海道を支配していた松前藩が、北海道全島と千島、樺太を含む蝦夷地方の調査を行ました。幕府が作成した日本総図(正保御国図絵)にも、「くなしり、えとほろ、うるふ」などの島名が明記されています。18世紀からは江戸幕府の直轄地として開拓されました。日露国境を再編した樺太千島交換条約(1875年署名)では、樺太の一部の権利をロシアに譲り渡し、引き換えに得撫(ウルップ)島から占守(しゅむしゅ)までの18の島(千島列島)の領土を取得しました。1945年8月の第二次世界大戦終了後に、旧ソ連軍(現ロシア軍)によって不法に占拠され、日本人が住めない島々になってしまいました。大戦で勝利した連合国は、ポツダム宣言(1974年7月 日本に対する降伏要求最終宣言「米英支(アメリカ・イギリス・中国)共同宣言」)にも引き継がれた領土不拡大の原則を度々宣言していて、日本に対して北方領土の放棄は求めておらず、法的な効果を持つ国際的な取決めもありません。また、サンフランシスコ平和条約(1951年調印 連合国による日本占領の終了)で、日本は千島列島の領土権を放棄していますが、北方領土は千島列島には含まれていません。このことは、樺太千島交換条約に用語例があり、アメリカ政府も公式に明らかにしています。北方領土は、歴史的にも一度も外国の領土になったことがない日本固有の領土で、国際的な取決めでも日本に帰属する領土であることは疑う余地がありません。※内閣府WEBページから

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