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学びの場であるということ 2010.2.1

  良い学校を創るために(2)      2月1日(月) 全校朝礼より


前回には、良い学校を創るために、最初の取り組みは「よき人間関係を作ること」であるという話をしました。
今回は、同じく「よい学校を創るために」ということで、今度は、学校について考えたいと思います。つまり、学校とは何なのかという話です。皆さんが毎日来ている学校は、いったい何のためにあるのでしょう。当然、勉強するためとか、友達と仲良くするため、とか部活動をするため、遊ぶため、その他いろいろ考えられると思います。でも、本当の目的は何なのか、そこを考えてみましょう。
昔は学校などなく、一部の特権をもつ人だけが学校に行くことができました。特権というのは一般の人とは異なる「特別な権利」ということです。例えば、父母が高い地位にあるとか、家系がいいとか、お金がすごくあるとかということです。では、学校に行かない人は何をしていたかと言えば、みんな遊んでいた、ということではなく、家の仕事やお金を稼ぐための仕事に携わっていたのです。働かなくては生きていけないから、学校に行かず、学習もできないままだったのです。すると、貧しい人は貧しいままの暮らしであり、より文化的で人間らしい暮らしができないということになるのです。貧しい人は貧しいまま、これでは階級社会と同じことになります。
今でこそ、法律で義務教育とされる小学校、中学校における日本の就学率は、はほぼ100%ですが、多くの開発途上国では、平均して小学校で85%、中学校で49.5%と低い状態のままです。
教育が受けられないとどうなるのでしょう。教育によって字が読めるようになるのですから、字が読めないために人にだまされたり、より安定した収入のある職業に付くことが難しくなったりします。3年生はよく分かるでしょうが、学校できちんと力をつけなければ、なりたい職業に就ける確立は低くなり、より自分らしい仕事で生きることができにくくなります。学力が上がれば、より進路選択の幅が広がりますが、それと同じことが、社会でもおきてしまうのです。
それから、学習することにより人は人らしくなるのであって、他から学ぶことがなければ、いつまでも動物と同じように、感覚や本能で生きるだけの人間になってしまいます。もし学校がないなら、教育を受けることができず、文化的な暮らしから遠くなることでしょう。
さて、このように考えると、学校とはやはり「学習する場」であるということです。より良い学校とは、つまり、よりよい「学習の場」が実現しているということです。一人では勉強できないけれど、友達や仲間と一緒ならやれる。それが学校の本質です。ですから、良い学校を創るためには、学校が友達や仲間とよりよく「学習できる場」となることが必要です。先生によって態度を変えたり、好きじゃないからといってやらなかったり、部活や遊びだけが好き、というわがままな態度では、良い学校を創ることにはつながりません。
部活動も含め、全ての教育活動が「学習すること」につながるような学校にしようではありませんか。

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