水原 秋桜子 作詞 下総 皖一 作曲 塩谷 圀利 編曲
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桑の葉わたる朝風の |
山よりいずる滝津瀬の |
すがしき心常に持て |
あふるる力貯えよ |
心すがしく学ぶとき |
力あふれて学ぶとき |
賢き人の踏みし如 |
駒の翼を得しが如 |
正しき道はひらかれん |
行手はさらに輝かん |
わが学び舎は多摩の野の |
わが学び舎は浅川の |
緑の雲の中に立つ |
水のめぐれる岸に立つ |
校歌の由来(昭和28年制定)
作詞者 水原 豊 先生(俳号 秋桜子)
明治25年10月9日生。東京大学医学部卒業(医学博士)。 父の家業(医者)を手伝うかたわら昭和医専の授業を担当。 また宮内省侍医として貞明皇后の医事等にもあたられる。 戦争がはげしくなり、八王子に住む「馬酔木」の同人等の関係で八王子に疎開され、二中の学区に居住された。 この間、八王子時代の句集「霜林」にしめされたように、地元の人々との交流も強められ、 二中校歌の作詞もこのような中で、地元の方々や学校のお願いによって出来上がったものである。
作曲者 下総 皖一 先生
上のようないきさつで作詞が出来上がり、地元の熱意ある方々の意向もあって、 学校とともに作曲をお願いして、快く引き受けていただき出来上がったものである。 下総先生の素顔について紹介すると、明治31年埼玉県生まれ、東京音楽学校を卒業され、 信時潔氏に師事された後、ベルリン音楽大学で学ばれ、帰国後は母校の教師として活躍された。 その後、東京芸術大学音楽部長に就任された。 作品には「三味線協奏曲」、「箏弦協奏曲」、合唱曲集、独唱曲集など、邦楽と洋楽の結合を図られた方である。 その他、文部省関係のお仕事の多い方である。 昭和62年、本校塩谷圀利教諭が合唱曲に編曲、現在では卒業式、入学式等の際には全校生徒による「校歌合唱」として歌われている。
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