交通の要衝だった!? 高留と大久保 古い本その4『新詳高等地図−初訂版−』巻末資料には、「日本の市と人口および人口増加率」として、1966年3月現在の人口と、1955-60年までの5年間の増加率が載っていました。 八王子市は214,000人で11.7%、令和2(2020)年の国勢調査では579,355人、5年間の増加率は0.3%だそうです。(市のホームページによる) 市の人口は当時の約3倍ですが、本校児童数は123名から44名と約3分の1になっています。 当時の恩方は林業でにぎわい、森から丸太を運び出すための仮設すべり台(しゅら)があったそうです。 中央高速が点線なのは編集当時、八王子から西は工事中だったためです。 帝国書院 昭和43(1968)年 定価301円(記号46 帝国 地図−008)個人蔵 9月22日の給食ししゃもには、骨や歯を丈夫にするカルシウム、ビタミンD,A、B2,が 豊富に含まれています。とても栄養価が高い食材です。 今日は、バランスのとれた献立です。 嫌いなものも少しずつ食べてみましょうね! 『夕焼小焼』を作曲した草川信氏ある番組で取り上げた南洋の島で、日本式の教育を受けた現地の御婦人が『私、今でも日本の歌を覚えていますよ。♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜』と『夕焼小焼』を披露していました。 作曲した草川信(しん)氏は、信州の松代町(現・長野市)出身、音楽好きの家庭で育ち、東京音楽学校(現・東京藝術大学)でバイオリンを学びます。学校の教師をしながらオーケストラで演奏、童話と童謡の雑誌『赤い鳥』に参加し、『ゆりかごのうた』『どこかで春が』『緑のそよ風』など、今も愛唱される数々の曲を作ります。 彼の代表作の一つ『汽車ポッポ』は、兵隊さんを乗せた『兵隊さんの汽車』の歌詞と題名を戦後改めたものです。 息子の宏氏も同じ東京音楽学校に進み、島崎藤村氏の詩に曲をつけるなどしていましたが、道半ばで戦争に行き(学徒出陣)、南方で亡くなったそうです。 陣馬?陣場? 遠足実地踏査ここは、北条氏を攻める武田氏が陣を置いたことから「陣場山」と呼ぶ説と、観光地のシンボルとして白馬像【写真上】を置いたので「陣馬山」の名が定着したという説があります。なお、本校校歌の歌詞・二番には「陣場」で登場します。 昔は山麓の村人たちが柏(かしわ)を育て、その葉を集めて市(いち)に売りに行っていたそうです。今も名残の柏があちこちに生えています。 10月の本番は、発達段階に応じて、低・中・高学年でコースを変えて歩きます。お楽しみに。 |