昔の学校

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朝日新聞夕刊のコラム『マダニャイ とことこ散歩旅』で陣馬街道を取り上げていて、8月25日・26日の2回にわたって本校が紹介されました。記事を読んで早速見学に来られた方もいました。

記事の中で中村雨紅氏が少し怖い思い出を語っていますが、出典の記念誌は『あゆみ 創立九十周年記念』(S39・1963年)のようです。
【写真上】表紙のイラストは明治31年入学の方の記憶を元に当時の教員が描いたもので、隣にお墓があります。

【写真下】これは敷地の拡張や校舎の増築を終えた昭和期です。現在の校庭に旧校舎が建っている様子や、裏山の祠がよく分かります。小プール(今はビオトープ)ができた1963年以降の撮影でしょう。(傷んだ部分をレタッチしました。)

野矢トキ氏と もうひとつの校歌

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♪帝座の下(もと)なる多摩ノ郡 上恩方のよき村に …
 先の大戦前、尋常小学校や国民学校と呼ばれていた当時の校歌です。作詞はやはり中村雨紅氏でした。ここでは作曲した野矢トキ氏を紹介します。
 
 野矢氏は群馬県渋川出身、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)でオルガンを専攻、1919(大正8)年から東京府立第四高等女学校(現・都立南多摩中等教育学校)の音楽教師を勤めました。
 本校の校歌を作曲したいきさつは不明ですが、雨紅氏と交流があったのか、本校卒業生など関係者が第四高女にいて、依頼したのかも知れません。
 野矢氏は1945(昭和20)年8月2日の八王子空襲で亡くなりました。第四高女の教え子たちが大楽寺町の法泉寺に記念碑を立てたのは1956(昭和31)年のことです。

※南多摩同窓会あかね会 会報『みなみたま』掲載記事(WEB上)、揺籃社『ガイドブック 八王子の戦跡』を参考にさせていただきました。
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