松姫ものがたり その4信玄公は 尾張(おわり)のお殿さま、 織田信長(おだのぶなが)公の後継ぎ(あとつぎ)、 信忠(のぶただ)さまと 松姫さまの結婚の約束を交(か)わしました。 その頃は、国と国のかけひきで、 若君(わかぎみ)やお姫様がまだ幼いうちに 結婚の約束をしてお互いに攻めて来られないようにしたのです。 松姫さまは信忠さまと一度もあったことはありませんでした。 織田家からは、たくさんのお祝いの品が届けられました。 中でも舞扇(まいおうぎ)はとくにうれしくて胸に抱きしめ、 結婚の日を夢見ておりました。 松姫ものがたり その3五才になったとき信玄公は、恵林寺(えりんじ)の快川和尚(かいせんおしょう)という偉(えら)いお坊さまに 「姫に正しい“人の道”を教えてください。」 とお願いしました。 ある日、五郎お兄さまのお城をたずねたときのことです。 お城は桜が満開(まんかい)で、村の人たちもお花見を楽しんでいました。 「どろぼー」「まてー」 小さな女の子でした。手には松姫の手まりがありました。 みんなが女の子をせめると 【松姫】「手まりはさっき私がこの子にあげたのよ。」 松姫さまのあたたかい思いやりがわかった女の子は 「ごめんなさい、ごめんなさい。」 涙を流しながらあやまりました。 郷土の先輩・中村雨紅氏神社関係のお墓は「おくつき(奥津城・奥都城)」と言います。 お墓には墓石の隣に、童謡・夕焼け小焼けの情景を浮き彫りにしたものがあります。そこには黒い石に自筆の詩と解説も彫られています。 我によき友のあり そはみな うたのおかげなるも 歌はありかたき◇ 雨紅 ◇の所の文字は読み方がわかりません…。 『世界的に有名な夕焼け小焼けをはじめ雨紅作詩の童謡は彼の生まれ育ったこの地の山や川昔ながらの暮らしの中で培われた心の表われです 雨紅はふる里の自然の恵みが人々の心に深い安らぎと生きる力をいつまでも与えてくれることを願っているでしょう』と綴られています。 |