昔の学校記事の中で中村雨紅氏が少し怖い思い出を語っていますが、出典の記念誌は『あゆみ 創立九十周年記念』(S39・1963年)のようです。 【写真上】表紙のイラストは明治31年入学の方の記憶を元に当時の教員が描いたもので、隣にお墓があります。 【写真下】これは敷地の拡張や校舎の増築を終えた昭和期です。現在の校庭に旧校舎が建っている様子や、裏山の祠がよく分かります。小プール(今はビオトープ)ができた1963年以降の撮影でしょう。(傷んだ部分をレタッチしました。) 野矢トキ氏と もうひとつの校歌先の大戦前、尋常小学校や国民学校と呼ばれていた当時の校歌です。作詞はやはり中村雨紅氏でした。ここでは作曲した野矢トキ氏を紹介します。 野矢氏は群馬県渋川出身、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)でオルガンを専攻、1919(大正8)年から東京府立第四高等女学校(現・都立南多摩中等教育学校)の音楽教師を勤めました。 本校の校歌を作曲したいきさつは不明ですが、雨紅氏と交流があったのか、本校卒業生など関係者が第四高女にいて、依頼したのかも知れません。 野矢氏は1945(昭和20)年8月2日の八王子空襲で亡くなりました。第四高女の教え子たちが大楽寺町の法泉寺に記念碑を立てたのは1956(昭和31)年のことです。 ※南多摩同窓会あかね会 会報『みなみたま』掲載記事(WEB上)、揺籃社『ガイドブック 八王子の戦跡』を参考にさせていただきました。 |