鑓水学校・正倫学校時代
〇江戸時代には、「読み書きそろばん」を教えた寺子屋が由木村にはいくつかありました。
〇明治5年に学制が発布され、由木村には5つの小学校ができました。
〇明治6年5月鑓水村に鑓水村立鑓水小学校がつくられました。
〇鎚水村では、江戸時代からの名主や、大きな生糸商人が中心となって村人がお金を出し合い、村の子どもたちのために学校をつくりました。当時、村で学校をつくられたのは、鑓水村に数名の大商人がいたことと、村人の教育への熱意の高さによるものです。
学校に行く子のわりあいが多い
〇鑓水学校には村の約半数の子どもたちが学校に行きました。 (男子24人 女子7人、計31人) (学校に行く子は鑓水村48%全国平均28%)
〇もっと多くの子どもたちが学べるようにと、明治13年学校を新しくたてかえました。(諏訪前2018番地 諏訪神社の旧境内に) 明治7年には鑓水村の男子38人全員、女子の半数(16名)が学校に通いました。女の子は家の手伝いなどがいそがしくて学校に通えない子もいました。 男子38人全員、女子の半数(16名)が学校に通いました。女の子は家の手伝いなどがいそがしくて学校に通えない子もいました。
〇明治25年鑓水村の寄付によって幻灯器を買いました。
〇明治26年神奈川県から東京府に編入されて、東京都南多摩郡由木村立鑓水尋常小学校となりました。
〇創立から校長先生はいませんでしたが、明治34年宮崎利吉先生が校長先生になりました。明治40年まで1年から4年が1つの教室で勉強をしていました。 明治41年4月から義務教育が6年にのばされ、1・2・3年と4・5・6年の2学級になりました。
当時の指導法(4・5・6年の授業)
〇4 、5 、6年の国語読方の時間は、4年と6年が小黒板の漢字8 、 9字をノー 卜の代わりの石板に書き写してかなを付けます。学年委員が見て回って点検をし、誤りがあれば、石板に黒点を付けます。学年委員が、読本中のかなに直す部分を示し、全児童が石板でかなに直します。その間に、5年生は、同じく石板に小黒板の漢字を書き、それにかなを付ける予習をします。